スタッフ研修

【インド旅➄】

子供ながらに考えた、過去の記憶

小学生四年生の時、親とロシアとウクライナに行った

親に連れられてロシアとウクライナに行った。ロシアはモスクワのホテルに宿泊したが、
ウクライナでは、当時”キエフ”で両親の知人であるウクライナ人の家にホームステイを3週間ほどした
私の記憶では、”キエフ”はわりと穏やかだったが、ロシアは国全体の持つ雰囲気が暗かった印象がある
ズラリと並ぶ路上生活者
裸足で寄ってくる物乞いの子供達に動揺した
自分の背丈と同じ子供達が、にこにこと寄ってきて
私よりも強く、私よりも生きる力を持っているように、子供ながらに感じた

子供ながらに感じた

何の苦労もない家庭環境にいる私の方が、よっぽど貧弱に感じた
それでも物乞いの人たちを見ていると
子供ながらに考えることはあって
彼らに世界中の人が1円ずつでもあげたら
みんな救えるのではないか?
そう親に問いかけた

お金の問題ではないのよ

母が言った
そして日本から持ってきた
折り紙で作られた人形を渡すよう言われた

当時学校で
ちょっとしたことですぐに泣く私は
いじめに遭っていたが
この体験が影響してなのかわからないが
小学5年になった時に
もう泣くのはやめて
強く生きることを決意した
それからいじめられることはなくなった

インドの世界と過去の私から感じたこと

あれから私は大人になり結婚し
都心での仕事を辞め
夫のもとで働くことになり介護職についた
そして2人の子供を孕み出産し育て
介護をし様々な人の死を看取り
両親を看取り
里子を育てることになった
そして今回
流れるままにインドに行くことになった
混沌としたインドの世界に
ただただ心が揺さぶられ感動した
あのカオスに何故感動したのか
理屈での理解を超えて
あの光景を受け入れた時の自分は
言葉にならない
とてつもない感覚を味わった

新しい感情・母として

だけど一方で
やはり現実社会で生きる人間としての
感情が湧き上がる瞬間が所々があった
それは
息子たちと同じくらいの背丈の
子供を見た時である
特に男の子
自分の子供達を
彼らに投影していたのだろう
小学4年生の時の私が
物乞いの子供達に出逢った時に感じたものとは
少し違った
母としての目線である
私は今すぐ彼らを抱きしめ
風呂に入れてやり
あたたかい食事を食べさせ
布団の中で頭を撫でながら
安心して眠らせたいと一瞬にして思った
これは私のエゴなのだろうか
それと同時に
今すぐ日本に帰り
自分の子供達に会い
抱きしめたいと思った
でもその感情はすぐに手放し
ニュートラルな自分に戻し
旅を続けた

 

帰国後

成田空港に夫が車で迎えにきてくれた
車の中では半崎美子さんの音楽が流れていた
その優しい歌声を聴いていると
ふと感情が溢れ泣いてしまった
その感情は確かな感謝の気持ちだった

インドに行かせてもらえたこと
あの混沌とした世界を見られたこと
おかえりと言ってもらえる家があること
子供達が笑っていてくれること
子供達を抱きしめられること
モヤのない澄んだ空気があること
何もかもありがたく感じた
自宅に戻ると
里子のあっちゃん(2歳 仮名)が
「かっか!」

笑顔でかけ寄り抱きついてくれた
(かっかは、かあちゃんの略で、あっちゃんは私をかっかと呼ぶ)
あっちゃんの笑顔を見て
あの物乞いの子供達を見た時の
自分の気持ちが少し和らいだ
私は幸せだと感じた

帰宅後

家の中は相変わらず散らかっていて
子供達がこぼした食べ物のカスが
あちこちにある
インドのホテルよりずっと汚い
げんなりする
LINEではコイノニアで
住人たちとの日々を大切に向き合っている
スタッフ同士のやり取りが見られた
私のインドへの旅が終わったことを感じた

追記

写真は、ワラナシ(ベナレス)の空の雲
コブラにも龍のようにもみえた
追記:帰宅後の夕方
自分の車を運転していると
愛する引田香織の曲が流れ
やはり感情が溢れ泣いてしまった

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